「紙粘土スクラムから得たアンチパターン」を聞いて感じたこと
紙粘土スクラムから得たアンチパターン では、紙粘土スクラムを複数回開催しているうちに見えてきた、うまくいかない振舞を類型化し名前をつけて紹介してくれていた。
例えば:
- プロダクトオーナーが「もっとカッコよく」というリクエストを出してしまう -> チャラオーナー
- 開発が「ステークホルダーが近くにいるのに、まったく聞かず仮定を積み上げて難しい仕様や不要なものまで作りすぎてしまう」 -> 妄想の暴走
そのことはおもしろかったのだけれど、単におもしろがるだけでなく、私はもうちょっとこの事象を良く知りたいなと思ったのだった。
1 つめは、これらのアンチパターンについてだ。
アンチパターンという言葉は「最初は良さそうだと思ってやるのだけど、皮肉にも望まない結果が得られてしまうもの」につけられる。 紙粘土アンチパターンで類型化される振舞をしたひとたちは、どういう「良さそう」という思いがあったのだろうか?
たぶん紙粘土スクラムを進めるうえで、限られた時間、経験、知識のなかで一生懸命考えた結果がそういう動きになっているはずだ。 類型化できるということは、そこに普遍的な要素があるように思える。
ある傾向・考え方を持つ人はこういうアンチパターンに陥りやすいですよという注意喚起ができれば、より一層みなの役にたつものになるかもしれない。
2 つめは、チームに望まれないようなアンチパターンで紹介されるような動きがあったときに、他のチームメンバーはどうしていたのだろうかということだ。
最初からうまくいくなんてことはほぼないわけで、紙粘土スクラムでも最初アンチパターンの振舞いをする人は多いのだろう。
しかし、紙粘土スクラムでもスプリントを重ね、1 つのスプリントにはふりかえりの時間が含まれており、チームメンバーには、チームにとってよりよい振舞いをしてもらえるように頼むチャンスがあるはずだ。
そこで健全なチーム活動に近づけるための努力にはどんなものがあるだろうか?
そもそもチームメンバーはそのアンチパターンがチーム活動にとって望ましい振舞いではないと気づけていただろうか? もし気づけていなかったのなら、どういうやり方だと気づけるだろうか?
つまり、アンチパターンを目にしたときにチームメンバーとしてよりよいチーム活動へと持ち込むためのパターンはあるだろうか?ということだ。
こんどきいてみよっと。
この記事はScrumFestSapporo2020 Advent Calendar 2020にむけて書かれた。